レギナウス 01
「おいおいおいおい、ったぁく!ヤってくれるなぁ“血染め”も」
鎧を着た男が、何処か呆れを含んだような調子でその場に残された血痕を撫でた。
不快な血臭に、グッと眉を寄せる。
その男の後ろで佇み室内を見渡した。
「…さすが、と言うべきか」
誰に伝える出もなく漏らし、室内の中心に横たわる“それ”を見る。
至る所を傷つけられ、横たえられた“それ”は、元この国の貴族であった老人だった。
それを中心に血だまりが広く広がっている。全身の血が全て抜けてしまっているかのような量だ。
その中心に横たわる老人の表情は苦痛と絶望、そして憎悪に醜くく歪んでいる。
そう、その遺体が発見され王城の騎士団へと連絡が来たのは今朝の話。
今回は、殺された人物が人物だったので騎士団の副団長である自分たちがこの場に来ている。
この遺体は、王城では大きく権力を握っていた重要人物だった。
そう、もう腐った害でしかなかったこの人物が殺される理由は、両手から溢れるほどにはあったのだ。
そして今回の“暗殺者”もこの惨状を見れば知れたこと。
貴族や商人を専門に暗殺を受ける人物は闇の世界には大勢いる。その中でも最近とくに動いている暗殺者。
その暗殺者が請け負った殺しの後、必ずそこには血だまりが出来ている。
部屋中に飛び散った血液は、その中のモノを真っ赤に染め上げ色濃く死を見せつける。
そこから着いた通り名が“血染め”。あまりにそのまま過ぎて露骨なその名を手に取るそれは、派手に動いているにもかかわらず一切の情報は明かされない。
「…なぁ、エージュ。こんなド派手な暗殺、もう暗殺なんかじゃねぇ」
ぽつりとしゃがみ込んだ男がそう漏らすと、背を血のしみた壁に凭れさせたエージュは静かに頷いた。
暗殺等ではない。そんな生やさしいものではない。
全身に付けられた傷跡は狂気を感じさせる。血に、死にまるで執着するように。
まるで血に魅入られた死神。
「…──哀れだな」
「あぁそうだな。ったく、幾らクソ爺ったって俺は同情するね」
俺は死ぬときゃ、なんとしてでも惚れたオンナに看取られてぇ。と続けて言った同僚のマギに一瞬視線を遣って目を伏せた。
違うと、否定するのは面倒だった。
…──“血染め”。
その言葉を耳にし始めたのはまだ二年ほど前。
確か切っ掛けは、国の下級貴族。成り上がりと呼ばれていた家の当主が始まりだった。
遺体の見つかる場所が、おびただしい血により真っ赤に染まっていたあまりの残酷さに、当時は良く話題に上がった。
その半年後だ、たしか。同じような惨状で貴族が時折殺されるようになり、人々はおそれを込めてその暗殺者を“血染め”と呼び始めた。
依頼で行っているのか、独自で標的を決めて行っているのかは分からない。
性別も、年齢も、体型も、容姿も何一つ不明な暗殺者。
──恐らく、ただ一人、自分だけが“彼女”の片鱗を掴んでいる。
「…ジュ、エージュ!」
ハッとして顔を上げれば呆れた顔をして仁王立ちしているマギがいた。
ボーッとしていた自分に思わず舌打ちする。仕事中だと言うのに何を考えているんだ私は。
「悪い」
「らしくないな、ボンヤリしてるなんて。ま、いーけどな?取りあえず俺は帰りたいんだよ」
団長も煩いし、と愚痴るようにマギは溜息を溢した。
マギの事情はともかく、ここに長居をしている理由は無かった。
遺体をかたづけるのは、もう人に指示を出した。犯人についてはこの場所を見れば誰にでも知れる。
そしてその犯人については手がかりが無いことを誰もが知っている。手がかりなるようなものは無い。
ここにいて出来ることなどもう無かった。
チラリと背を向けた部屋に振り返り、またゆっくりとその場から歩き出す。横ではマギが何かを話しているのに、適当に相づちを打ちながら頭に浮かぶのは血にまみれた“あの時”のこと。
闇の中に輝く三日月。血臭にまみれた風の匂い。静まりかえった、狭い路地裏。血の飛び散った、壁。
血の海に沈んだ何人かの男達。なびく白髪──…その中央に佇む女の後ろ姿。握られたナイフ、それから滴る鮮血。
焼き付いた記憶は消えず、鮮明に目蓋の裏へ現れていく。
…──あの女は、泣いていた。